玉響

ぼくたちのリフレクション

できるだけ

小学生時代。雑誌の100問100答を暗記したり、切り抜きを学習机のマットに挟んだり、駄菓子屋やお祭りで売っていた非公式ブロマイドを集めたり、TSUTAYAで借りた初回盤の歌詞カードを書き写したり。

いつか嵐が居なくなる時はわたしも一緒にいなくなりたいと思っていた中学生時代、当時の私にとって家は心が休まる場所ではなくて、たかだか数メートルの高さしかない2階の自室から飛んでやろうかと思ったり、よくて骨折だなと思ったり、どこにでもある唄をイヤホンで聴きながら泣いてみたりしていた。ケース無し50枚セットのDVD-Rを買い込んで、レコーダーを占拠して、妹からは常に非難轟々。

高校生になって、嵐に会いに行くことは年に1~2回ある行事になった。居間の古いテレビを貰い、お年玉でブルーレイレコーダーを買い、自室に篭もる時間が増えた。バイトを始めて、今まで手に入らなかった色々なものを手に入れた。カレンダー、うちわ、初回盤。雑誌のポスターはいつからか壁に貼られなくなってた。

大学生になって家を出た。引っ越していく時うず高く積まれたままだった雑誌タワーは帰省する度に低くなり、母の手で整理され、綺麗にファイリングされていった。

 

 

実家の自室には、そういう思い出が有った。8歳から21歳の今日まで嵐と生きてきた私の、だいたい全部があった。

就職前に片付けなければと思っていた参考書や衣服、グッズ。

買ったまま使われなかったワクワクのポーチやJaponismのトートバッグをあげたら早速使い始めた妹は、本当につい最近、嵐ファンになった。

 

物心ついてからの殆どの時間はお互いにいがみ合ってばかりで、姉妹なんて響きとは程遠い関係だった私たちは、ここにきて急速に関係性を結び直している。

遅いよと思う10000倍、間に合ってよかったねと思い、友人に借りたMonsterのPVメイキングをビデオカメラでテレビ画面直撮り保存した思い出話に花が咲いた。

 

 

常々思う、振り返る道が、語る歴史が、大切な思い出があることは素晴らしい。実家から自宅に向かう高速バスの中、嵐の曲を聴いては、歯を食いしばって泣いた。

 

 

約束を願わないように、ただ大好きな人の明日を願えるように、武士のように潔い心持ちで迎えたかった来月末、を思うだけでまた涙がボロボロ溢れました。

時間はいくらあっても足りなかったんだろうな。

みっともなく泣いて泣いて、自分なりに正解を出せたらいいけど。

出会ってからずっと握られたままの心臓が痛いけど、やっぱり一生返さなくていい。返さなくていいので一緒に生きていてほしいなんて 思ってしまう。

 

わたしは嵐にも、ここまで立派に育ててもらった恩を感じているから、できれば大晦日も、来年からも、自分の足でちゃんと立っていたい。ちゃんと見ててね、貴方たちのおかげで今の私がいるよって生き抜きたい。そう思ってはいるよ。

でもまだ、嵐の居ない人生を思うと涙が止まらない。

晦日、どんな顔してるかな。あなたも、わたしも。